作者と作品

芥川竜之介『侏儒の言葉』を読む――「鼻」「修身」の意味と背景

執筆・編集:あなたに贈る名言 公開 更新

『侏儒の言葉』は、短い文章をさまざまな題のもとに集めた芥川竜之介の作品です。序では、これらの言葉が作者の思想そのものを伝えるとは限らず、その変化をうかがわせると説明されています。ここでは序と「鼻」「修身」を読み、強い断定の前後にある問いを考えます。

最初に、序を読む

『侏儒の言葉』は、短い文章をさまざまな題のもとに集めた作品です。青空文庫の図書カードでは、「文藝春秋」の1923年から1925年、そして1927年の掲載が初出として示されています。一度に書き上げた一続きの主張として読むより、まずそれぞれのまとまりに目を向けると読み始めやすくなります。

序では、この作品が必ずしも自分の思想そのものを伝えるわけではなく、その変化を時々のぞかせるものだと説明されています。作者が使うのは、いくつも蔓を伸ばす草のたとえです。まっすぐ一本の結論へ向かうというより、考えが枝分かれする姿を想像させます。

一つの一節を読んで、芥川は人間をこう決めつけたのだ、と考えたくなったら、いったんこの序へ戻る。ここで紹介したいのは、そんな往復の読み方です。

参照:資料1資料2

「鼻」では、見たいものを見る心へ進む

作品内の「鼻」という節は、同名の短編小説とは別の文章です。クレオパトラの鼻が違っていたら歴史も変わっていたかもしれない、というパスカルの警句を取り上げ、恋人は相手の短所を見ないようにしたり、別の長所を探したりするだろう、と話を進めます。

その後、文章は恋愛だけで終わりません。自分に都合のよいように実相を塗り変えることを、政治家や軍人、実業家へも広げています。ここを恋愛の皮肉としてだけ切り取ると、問いが人間のものの見方へ向かう流れを失ってしまいます。

途中には、歯の痛みを抱えた人が歯科医の看板に気づく、という身近な例も出てきます。看板そのものが急に現れたのではなく、自分の関心がそれを見つけやすくした。そのように読むと、歴史上の人物の話が、自分にも起こる注意の偏りへ近づきます。

今の私たちに重ねるなら、気に入った意見ばかり集めていないか、という問いを立てられそうです。ただし、これは現代の読者としての連想であり、この節が現代の情報環境を直接説明しているということではありません。

参照:資料1

「人は見たいものしか見ない」で終わらせない

ここまで読むと、人の判断はすべて願望で決まる、という結論にまとめたくなるかもしれません。けれども「鼻」の後半で、芥川は理智の存在を否定するわけではないと断り、偶然の働きにも言及しています。印象的な皮肉のあとに置かれた、この留保も一緒に読む必要があります。

次は当サイトが考えた架空の例です。気に入った本を友人に勧めようとして、好意的な感想ばかりを拾っている人がいるとします。逆の感想を一つ読めば、その本が悪いと認めなければならない、という話ではありません。自分が勧めたい点と、その友人には合わないかもしれない点を、別々に説明できるようになることが大切です。

「自分の見方も偏るかもしれない」と考えることと、「どんな説明も信用できない」と投げ出すことは違います。この節を読むときは、作者が疑う対象に加えて、否定しきらずに残しているものにも印をつけてみてください。短い断定を、自分で考える余地のある文章として読み直せます。

参照:資料1

「修身」の厳しさを、誰かを裁く道具にしない

「修身」には、道徳をめぐる強い言葉が続きます。一方では、共通の決まりが時間や労力を節約すると述べ、他方では、決まりに任せきることで良心が働かなくなる危険を指摘します。道徳への反発だけを一文で取り出すと、この両側を見る視線が薄れてしまいます。

このサイトでは、その鋭さを他人の欠点の証明に使う前に、自分の判断にも向けて読むことを勧めたいと思います。いつもの決まりだから、と理由を考えずに従っていないか。反対する自分を正しいと思いたいだけではないか。答えを他人へ押しつけるより、自分の考えが止まった場所を見つける読み方です。

参照:資料1

一節を読んだあとに残す問い

気になった節を一つ読み終えたら、「何が当たり前でなくなったか」と考えてみてください。名言として覚えることより、いままで当然だと思っていた見方が一つ揺らぐことに、この作品の面白さを感じられるかもしれません。

原文には、現在では受け入れにくい表現や見方もあり、青空文庫の図書カードにもその旨が記されています。鋭さに感心することと、すべてを支持することは同じではありません。まず序を読み、次に一つの節を読み、自分の感想を作者の断定と分けておく。その距離があれば、言葉の強さに押されずに付き合えそうです。

参照:資料2

出典・参考資料

  1. 芥川竜之介『侏儒の言葉』全文(青空文庫)

    「侏儒の言葉」の序、「鼻」「修身」のまとまりを参照。現代の場面への当てはめは、当サイトによる読み取りです。

  2. 『侏儒の言葉』図書カード(青空文庫)

    初出、底本、表記についての注意を参照。