作者と作品
幸田露伴『努力論』をやさしく読む――努力と準備の関係
幸田露伴の『努力論』は、ただ作業の量を増やすよう勧めるだけの本ではありません。自序では、目の前の仕事に向ける直接の努力と、それを支える準備としての間接の努力が分けられています。自序と「着手の處」「努力の堆積」を手がかりに、頑張る方向と始める場所を考えます。
見える努力の前に、準備の努力がある
自序で露伴は、努力を直接のものと間接のものに分けます。直接の努力は、目の前の仕事へ力を注ぐこと。間接の努力は、その土台や源になる準備です。どれだけ長く取り組んだかだけを見ていると、後者の不足に気づきにくくなります。
露伴が挙げるのは、詩歌を作る例です。朝から晩まで紙に向かい、たくさんの文字を書いたからといって、よい詩歌ができるとは限らない。その準備として、自分を養い、世の中を理解し、感興や表現の力を育てることが問題になります。
今の暮らしに置き換えるなら、発表の原稿を繰り返し書き直すだけでなく、相手が何を知りたいのかを聞くことや、材料を調べることも準備でしょう。これは本に出てくる例ではありませんが、直接の作業量だけに目を向けないための考え方として使えます。
参照:資料1
立派な教えにも、始める場所が要る
「着手の處」という章で露伴が問題にするのは、高い理想を聞いても、どこから手をつければよいか分からない状況です。農業、建築、航海などの例を並べながら、実際に始めるところを確かめる大切さを説いています。
たとえば「もっと丁寧に仕事をしよう」だけでは、今日の行動が見えないかもしれません。それを「提出前に、読み手が迷いそうな一箇所を読み直す」にすれば、始める場所ができます。大きな目標を捨てるのでなく、触れられるところまで近づけるのです。
露伴は、始める場所は学ぶものによって違うとも述べています。誰にでも同じ一歩がある、という説明ではありません。自分の仕事では何が入口なのかを、自分でも問い詰める。その具体性が、この章を読む面白さです。
参照:資料1
原稿が進まない場面で、二つの努力を分ける
ここからは、露伴の原文にある事例ではなく、当サイトが考えた架空の場面です。五分間の発表を控えた人が、冒頭の一文を何度も書き直しているとします。「もっと集中しよう」と作業時間を足す前に、直接の作業と、それを支える準備を二列に分けてみます。
直接の作業の列には、原稿を書く、順序を入れ替える、声に出して長さを確かめる、と書けます。準備の列には、聞く人がすでに知っていることを確かめる、発表で伝えたい一点を決める、その一点を裏づける材料を調べる、と書けるでしょう。両方とも発表につながりますが、同じ作業ではありません。
まだ伝えたい一点が決まっていないなら、今日の着手は「文章をきれいにする」ではなく、「聞き手に持ち帰ってほしいことを一行にする」かもしれません。その一行と原稿を読み比べると、必要な材料と、いまは使わない材料も分けやすくなります。反対に材料がそろっているなら、調べ続けず、粗い原稿を一度書くほうが入口になる場合もあります。
この例で示したいのは、準備を増やせば必ずよい、ということではありません。作業量が足りないのか、作業の前提が決まっていないのかを区別することです。自序の直接と間接の区別を、そのまま万能の手順にせず、自分の行き詰まりを言い表す道具として借りています。
参照:資料1
好きで始めても、難しい部分には出会う
「努力の堆積」では、好んで取り組むことと、困難に耐えて取り組むことが比べられます。露伴は、好きな旅行にも風雪や険しい道があるように、好きな活動にも好ましくない事情が生じると考えます。好きなことなら、いつでも楽に進められるとは限らない、という話です。
ただ、この章の後半には、先人の努力が才能として遺伝するという説明も出てきます。本記事では、それを現代の科学的な説明として採用していません。作品に見いだせる工夫の手がかりと、時代の制約を持つ説明を、分けて読む必要があります。
同じように、露伴が努力を高く評価することを、困っている人は努力が足りないのだという判定に広げたくはありません。いまの読者として受け取るなら、自分の取り組み方を考える材料にし、他人の事情を決めつける根拠にはしない。その距離を保って読みたいと思います。
参照:資料1
次の一時間を足す前に考える
うまく進まない作業を一つ思い浮かべて、「何を目指しているか」「目の前で何を繰り返しているか」「その前に必要な準備は何か」を書き分けてみると、作業の見方が変わるかもしれません。足りないのは時間ではなく、材料や手順、相談する相手なのかもしれないからです。
これは当サイトによる読後の提案で、結果を保証する方法ではありません。まず自序と「着手の處」を続けて読み、努力の量と、努力が向かう先の両方に目を向けてみてください。『努力論』という題名の印象が、少し違って見えてくるはずです。
出典・参考資料
- 幸田露伴『努力論』全文(青空文庫・旧字旧仮名)
自序、「着手の處」「努力の堆積」を参照。現代訳ではなく露伴の原文を確認しています。日常の例は当サイトによる説明です。
- 『努力論』図書カード(青空文庫)
底本と表記の情報。原文に現在では不適切な表現が含まれることが記されています。